昭和41年6月国指定重要文化財・厨子一基、貞享五年・文政九年棟札とも
薬王院本堂は、大永七年(1527)6月に前本堂の焼失に伴い、薬王院の外護者であった江戸氏のもと復興に着手し、享禄三年(1530)に完成しました。江戸時代になると貞享四年(1687)光海法印の代に、光圀公の外護のもと修理が行われ、南向きであった本堂が東向きに改められています。茅葺き型銅板板葺き入母屋造りで、室町期建築の手法を今日に伝えている。本堂右手には樹齢500年の銀杏の木。向かって左手には樹齢150年の堂々たるクスノキが聳えています
昭和34年5月22日茨城県指定有形文化財
寄木造り、茅葺きの八脚門で低い基壇の上に立ち、正面は連子で、その中に仁王像を安置しています。脚固貫のところにぐるりと長押を周している手法は大変珍しいものとされています。
像高:225cm 形態:安山岩の五輪塔
昭和48年1月19日水戸市指定重要文化財
松平亀千代丸は、水戸藩初代藩主である徳川頼房の次男として生まれました。二代藩主光圀の異母兄にあたりますが、光圀誕生の年、寛永五年に夭逝しました。
「水戸紀年寛永五年戊辰の条」に、「公子亀千代丸君卒ス。水戸薬王院二葬ル。後、瑞竜山ニ改葬ス」とあり、この改葬に際して、地中に埋葬されたものが、近年薬王院境内を整理中に発見され、新たに整備されたものです。