現在、薬王院では、本堂である薬師堂が国指定重要文化財、仁王門と本尊薬師如来および木造十二神将が県指定文化財となっています。
薬王院の歴史的推移を考えますとさらに多くの文化遺産が残されているのが当然であると思われますが、度々の戦乱や中世末の佐竹氏による真言宗への改宗、幕末の斉昭による海岸防御の為の濡仏、撞鐘などの差出し、および明治13年の大火によって鎌倉時代からの薬王院文書その他多くの文化遺産を失っており、まことに残念なことです。
今、私達にとって大事なことは、残された文化財遺産を大切に保存し、後世に残していくことであろうと思います。
昭和41年6月国指定重要文化財・厨子一基、貞享五年・文政九年棟札とも
薬王院本堂は、大永七年(1527)6月に前本堂の焼失に伴い、薬王院の外護者であった江戸氏のもと復興に着手し、享禄三年(1530)に完成しました。江戸時代になると貞享四年(1687)光海法印の代に、光圀公の外護のもと修理が行われ、南向きであった本堂が東向きに改められています。茅葺き型銅板板葺き入母屋造りで、室町期建築の手法を今日に伝えている。本堂右手には樹齢500年の銀杏の木。向かって左手には樹齢150年の堂々たるクスノキが聳えています
本堂内拝観をご希望の方は、寺の予定もございますので1週間前までにお電話にてご連絡下さい。
像高:98.7cm
昭和34年5月22日茨城県指定有形文化財
技法は大変古様であり、大きめの肉髻、直線の髪際・中広の円い顔など古風で、衣紋線などに地方的な要素が取り入れられており、制作年代を決めにくいが、様式的には、藤原期のものと思われます。
日光・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として祀られております。
像高:各像約75~80cm 制作年代:持ち物は後補であるが、本体は南北朝期の製作と思われます。
昭和34年5月22日茨城県指定有形文化財
薬師如来の眷属として安置されております。各像十二支になぞらえております。
各像とも、それぞれの法力と役柄にふさわしい力強さを表し、袖や裳の表現は華麗です。
阿弥陀仏立像 一体 像高160.8cm
無量寿仏立像 一体 像高148.0cm
立像 一体 像高161.7cm
各像とも、一木造。平安時代作
阿弥陀仏・無量寿仏には、腹部裏面に「伝教大師自作 大同三年三月日」の墨書があります。伝教大師(最澄)自作の墨書は、伝教大師自作の仏像の類例が少ないだけに注目しなければなりませんが、伝教大師の東国下向の足跡は、上野の緑野寺と下野の小野寺までしか確認されておらず、常陸での教化は最澄のお弟子によるものです。長い間、秘仏であったため未指定ですが、地方作とは思われない格調の高い気品といい、優美さのあふれる姿といい、県内の平安仏の中では優品の一つであり、吉田山神宮寺創立にまつわる仏像であると思われます。
昭和34年5月22日茨城県指定有形文化財
仁王像:水戸市指定重要文化財
寄木造り、茅葺きの八脚門で低い基壇の上に立ち、正面は連子で、その中に仁王像を安置しています。脚固貫のところにぐるりと長押を周している手法は大変珍しいものとされています。